わたしと櫻井さんとBUCK-TICK

わたしって、櫻井敦司さんに関する何かって書いたことあったっけな?と、いろいろ見たけど、mixiの日記かTwitter(現X)くらいしかなかった。

 

BUCK-TICKのヴォーカリスト櫻井敦司さんはわたしにとって人生そのもの、といっても過言ではない。空気以上に当たり前でずっと一緒にいた。あまりに陳腐な表現だけどそれ以外に思いつかない。それこそ、生まれる前からそうだった。
自分の人生においてBUCK-TICKって当たり前の存在すぎて振り返ったことないなと思い、とりとめのない文章になっちゃったけど、自分のために、BUCK-TICK・櫻井さんと自分の人生を改めてなぞる。

 

わたしは1989年生まれ。
BUCK-TICK年表的にはちょうど活動休止期間に生まれた。生後1月も経たないうちに活動再開、惡の華が発売。そんな時系列。

母がわたしを妊娠し実家を出ることになった際に、妹(=私の叔母)からの餞別としてダビングしたカセットテープを持たせてくれることになったらしい。その時の母からのリクエストが天使のざわめき 悪魔の囁き*1
そのオーダーをもとに、SEXUAL×××××!SEVENTH HEAVENTABOOを持たせてくれたとのと。それがBUCK-TICKとわたしの出会いのきっかけである。BUCK-TICK  de 胎教。

 

わたしの叔母はいわゆるバンギャで、遠征も含めていろいろ飛び回っていたらしい。
X、D'ERLANGER、COLOR、BY-SEXUAL、LADIESROOM、STRAWBERRY FIELDS…多分もっといろいろ通っていたんだと思うが、わたしの聞いたことあるなという記憶にあるのはこのあたり。LUNASEAファンの叔母の友人もいたな。(楽曲を聞いていたというよりも、叔母の部屋にCDが置いてあったり、キーワードとして耳にしていた程度)

Vanishing Visionと写る幼少期のわたし こっこ(わんこ)と共に

叔母や母曰く、Xに関してはめちゃくちゃ英才教育されていたらしいのだが、正直さっぱり記憶にない。私の記憶にあるのはBUCK-TICKとhideだけ。それを大人になってから打ち明けたら叔母が絶句していた。これに関しては遺伝子レベルの問題だと本気で思っている。
赤いパッケージのBUCK-TICKのMV集はず~~~~っと見ていた。叔母の家はBUCK-TICKを見に行く場所だと信じて疑っていなかった節があった。胎教を信じたくなるレベルでBUCK-TICKのMVを求めていたらしい。インプリンティング度がガチ。櫻井敦司がわたしにおける男性の基準になってしまった。母からは「言葉もしゃべれないうちからこのビデオは見せろと訴えていた」「おむつで立てノリしていた」「櫻井さんのまねっこをしていた(証拠写真あり)」など、エピソードトーク豊富。本屋さんでの会計時に店内有線放送で流れていた惡の華を大熱唱する1歳女児、ロックでしょ。
叔母に頬に「B-T」って書いてもらって喜んでたし、ギターの構えはちゃんと右利きなのにレフティーだし、そのおかげで中学のころ自分で購入したレフティギターはさっぱり上達せずに挫折した。

わたしの子守の親

幼稚園~小学生の頃は、自分から居間にあるラジカセでSEXUAL×××××!~COSMOSまでを重点的に聴いていた。ほんとにず~~~~~~っと聴いていた。子供ながらCOSMOSの歌詞カードにある「生死」の文字の仕掛けとか、dtd、93曲目まである…!?*2とか、とっても楽しかった。

特に、狂った太陽殺シノ調ベdtdSix/Nineが大好きだった。Six/Nineは一番好きな盤。人生において大きな1枚だったから、自分の結婚式で1曲くらい使えないかと必死で考えて「love letter」ならなんとかなるやろ思ったけどならなかった。鼓動にすればよかったかな。(そういう問題ではない)(結局、結婚式では「RENDEZVOUS 〜ランデヴー〜」を使った。)

もともと歌詞を気にして聞かないタイプの感覚人間というのと、小学生なんで歌詞の意味なんて半分くらいわかっておらず、大声で歌っていた。(ミュージカルたくさん観るようになったけど未だに歌詞を追うのが苦手)母からは「家ではいいけど、外ではあまり大声で歌わないほうがいいかもね」と優しく諭されたのを覚えている。確かに「汚物にまみれスカトロの空!」なんて楽しそうに歌ってたら、そんな小学生、普通に考えたらやばい。

高学年くらいになって自分のラジカセを買ってもらい、そのくらいからSSLとかOL,ODも聴いていた気がする。そして赤いビデオの代わりにB-T PICTURE PRODUCTをめちゃくちゃみていた。Six/Nine全部入ってるの最高すぎませんか????

小学校6年生~高校2年生くらいまでT.M.Revolutionにめちゃくちゃはまり、ライブも行きまくっていた。小学2年生のときにHIGH PRESSUREを聴いたのがT.M.R.好きのきっかけだったけど、小6あたりからはのめり込みがすごかった。家族ぐるみですきだったのでコンテンツに触れることも容易で、MVやライブビデオもカット割りを全部覚えているし、ライブのMCも一期一句同時に言えるくらいには観ていた。自分でルーズリーフでTMR図鑑とか作ったりしていた。

その間もBUCK-TICKはずっとわたしの中にいてくれていた。変わらず曲も聞いていた。
でもなんか、あまりに恐れ多くて「ライブに行きたい」っていう思いがなぜか湧いてこなかった。存在していない神様みたいなものだと思い込んでいたのかもしれない。

2005年、BUCK-TICKのトリビュートアルバム*3に、西川貴教氏が参加することになった。「なんて巡りあわせなんだ」と思った。Luis-Mary*4時代の話をするときにBUCK-TICKの話が出ることはあったが、まさかお仕事で交わるなんて想像もしていなかった。彼は、T.M.Revolution名義ではなく当時活動していたバンド名義*5での参加。「ドレス」を歌うことになった。そのトリビュートアルバムのイベントが開催されることとなり、そこでようやく本物のBUCK-TICKを目の当たりにする。

当日、会場に着いたのが遅くて、会場入ったらすでに清春が歌っててあ~~もう始まってら~と思いながら歩いてたら、急に櫻井さんが出てきて「!?!?!?」ってなった。それと同時に「本当に実在するんだ…」って思った。

  1. THEME OF B-T
  2. Baby, I want you.
  3. RENDEZVOUS~ランデヴー~
  4. Alice in Wonder Underground
  5. ROMANCE
  6. DIABOLO
  7. 夢魔-The Nightmare
  8. スピード
  9. JUPITER

当日のセトリ。なにこれちょ~~~たのしいセトリじゃん。初めてのBUCK-TICKライブでツンドラ教の礼拝できたのうれしかったね。

少し話を脱線すると、遠藤ミチロウさんがMCで「猫って人の気持ちわかりますよね」的な話をしていたのがなぜかとても印象に残っている。祖父がなくなったときにわたしも全く同じことを思っていたので「やっぱりそうだよね!?」と思春期のわたしはミチロウさんラブになってしまった。なぜか断片的な記憶。近くのファンの人が「あっちゃんみたいなこと言ってるww」って話していたのも覚えてる。
ロックのライブ初体験で、Jのときにみんなライターの火を点けてたり、ほんとにヘドバン率高かったり、いろいろたのしかったフェスだったな。

そこからのわたしは、T.M.R.からは離れ、お笑いのライブに入りびたるようになり、その数年後にはジャニーズのアイドルのコンサートにめちゃくちゃ行くようになる。

 

実はPARADE以降のわたしは、精神的に参ってしまいなかなかダークな思春期を送っていた。24歳くらいからようやく社会性を持てるようになっていったが、その頃もBUCK-TICKは聴いていた。自分の命を諦めてしまいそうになっていた時期だったけど、ある種、ポジティブでない楽曲が多いことはむしろ救いだった。死をたくさん歌ってくれた櫻井さんには感謝しています。

2016年、当時26歳。わたしの転機。
社会人としてお賃金をもらえるようになってきたころ、3回目のCLIMAX TOGETHERが開催されることになった。「行ってみようかな…これ逃したら次、12年後だし。」と、チケットを申しこんだら取れちゃった。初、ワンマン。しかも、あの、伝説のCLIMAX TOGETHER。ほんとにかっこよかった…それでも夢みたいだった。やっぱりこの世に存在していることを実感できなかった。

ライブに参加したのはこのCT3rdと2022年の35周年のHIGH SIDE。この2公演だけ。
35周年横アリのセットリストはSix/Nineからのセレクトが多くて、ほんっっっとうに嬉しかった。あの時期の曲をたくさん歌ったのもなにかの巡り合わせかなあ…なんて思いながら、帰りの電車でほくほくした気持ちでおうちに向かった。

櫻井さんにかわいい…なんて感情が生まれる日が来るなんて思ってもみなかったInstagram初投稿。(キュートな人、とは別の意味でのかわいいは初体験)

www.instagram.com

これって、まだ1年前の話なんだなあ…すごくびっくりする。こないだの28年ぶりのMステなんてまだ半年しか経ってない。録画したビデオでは見せてもらってたくらいで、物心ついてからは初めて出演したみたいなもんだったからとってもうれしかった。

 

 

2023/10/24の14:00、通院先の病院の会計待ちだった。お知らせをみて、頭が真っ白になって手が震えて息ができなくなった。なんとか取り繕って普通に病院を出たけど、駅へ歩きながら涙が止まらなかった。

ぜんぜん意味が分からなくって、でも現実みたいってことだけが、ニュースとかいろんな人のツイートで分かった。何とか整理していた脳内も、今井さんのInstagramの投稿で、また頭が真っ白になってしまった。本当に辛い知らせを聞くと心が痛むっていうけど、本当に文字通り心臓あたりが痛くなるんだって知った。

 

ライブ中に体調が悪くなって、3曲を歌い終えた後にスタッフの方の肩を借りてステージから捌けて、その日の公演が中断になったお知らせを聞いたとき、シンプルに”怖い”って感情になった。心配よりも怖かった。そのあといろんな方のツイート(現ポスト)をみて、ゆーた氏がブログをお休みすることを見かけて、もっと怖くなった。けど、まさかね。だった。
LINE通知とそのお知らせのタイトルと見たときに、心がざわついた。この類のタイトルのお知らせでポジティブだったことが、これまでの経験上、ほとんどなかった。アクセス集中していたからInstagramを開いた。

ほんとうに、いまも、悪い夢であってほしい。

 

なんか、一生ずっとこのまま5人で続くと思ってた。そんなはずないのに。
人間だから、永遠はないのに。櫻井さんは、わたしよりも23歳も年上なんだから、ね。
でもそんなことを感じさせないくらい、ずっと5人で一緒、コンスタントに新譜は発表され、変わらないビジュアルに、変わっていく音楽性。普遍的な存在で居続けてくれたから、永遠を夢見たくなる要素しかなかった。

 

何かBUCK-TICKにできないことはないのかな?って、ない頭で必死に考えて、その日にBUCK-TICKのファンクラブとWebサイトに入会した。「今?このタイミングで?」と思われるかもしれないけど、これがわたしのタイミングだったんだと思う。なにか直接、できることってないかなって思って。CD買うとかいろいろ考えたんだけど、ここに行きつきました。

 

いまでも、ぐるぐるしていて、嘘みたいだなあって思ったり、あ、本当にいっちゃったんだ…って思ったり、の繰り返し。自傷行為かなと思いながらもたくさんBUCK-TICKの映像と音楽や過去の番組も見ている。多分、逃避のほうが近いのかな…

母ともLINEでやり取りしている。昔の曲の話とかその当時の話をしたりしていた。「昔の曲を聴くと幼いころのあなたまで思い出して泣いてしまう」と、本当に生まれたころから好きだたもんね、って。それに加え「あの時(乳幼児のころ)、子守をしていたのは叔母ではなく間違いなく櫻井さんだった」という出典が出てわろた。

 

昨日の夜、M-ON!の追悼番組を観た。
”追悼番組”というキーワードが鉛のように心に溜まっている。けど、観た。


そのあとなんとなく、ヒロシさんと櫻井さんとのSWITCHインタビューを再生した。
孤独について話していた。

久しぶりに観て感じたのは、自分が小学生のころずっと孤独が平気だったのはBUCK-TICKがずっといたからだったからかもって。やっと気が付いた。クラスで一人ぼっちになることなんて割とよくあったけど、奥底で人は孤独であることを、小学生ながらにわかってたのかもな~~まあだってSix/Nine聴きまくってたしな~~~なんて思った。当時は半分以上歌詞の意味分かってなかったけど。
嘘つかれたり嫌な言葉を投げかけられたりするダメージはやっぱり苦痛だったけど、一人でいることについては子供のころからあまり苦痛ではなかったかもしれない。もともと集団行動よりも自分のやりたいことを優先して生きていたしなあ……私の心のふるさと”新宿”という街が好きな理由も、集団からの解放が大きかったりもするしな。ま、冗談抜きで友達あんまりいないし…。

そして、めちゃくちゃ内向的な人間だったんだな~~って思い知った。わたしのキャラクターって話量が多くおふざけも多いから、結構人好きのする社交的で外向的できなイメージを持たれやすいんだけど、根は本当に明るくない。これは結婚式の選曲した時にも感じていた。マジで暗い。あまりわかってもらえる人は少ないけど。

 

 

自分語りはこの辺にして(5800文字も書いている)
波はあれど、これまでのように自分なりの距離感でBUCK-TICKと生きていこうと思います。豊洲か羽田には訪問したいと思っています。正直、わたしなんかが行っていいのかなって思うけど。でも、櫻井さんとBUCK-TICKは、ここまで生きてきたわたしの血や肉となっているのは間違いがないから。

大袈裟でなく、生まれる前から聴いていたから。

櫻井敦司さんは、私の人生の人で初恋の人で永遠の人。

愛をこめて。

*1:2ndシングル JUST ONE MORE KISSのワンフレーズ

*2:アルバムdarker than darknessの隠しトラック

*3:PARADE〜RESPECTIVE TRACKS OF BUCK-TICK〜

*4:西川氏がTMRより前に組んでいたバンド

*5:abingdon boys school