私の言葉には余白がない。

私の言葉には余白がない。

 

 

どうでもいい話から始めるけど、

これまでブログというものを単体で開設したことがなかった。

 

学生時代、フリーレンタルサーバーが大流行しており、私も御多分に漏れず某Y社様のスペースを間借りしてファンサイトを作っていたりした。HTMLを直で打っていただけではあるが、中々の充実度だった。BBSと呼ばれる掲示板やお友達のリンク集、当然その中には「日記」というコーナーもラインアップされていて、誰が興味があるかも定かではないのに、一中高生として私情を全世界へ発信していた。

ただ、先述の通りHTMLをいじくりまわしていただけなので、もちろん掲示板や日記は別のサービスを借りていた。(正確に言えば、この時点で既にサイトに紐づいてはいるがブログを書いていたことにはなる。)

その後、mixiが大流行した。

毎日狂ったように日記を書いていた。いや、狂っていたと思う。(これも広義解釈ではブログだと思っている)

さらにmixiには「コミュニティ」というものが存在しており、コミュニティに参加するとで自分の性格や趣味、意思表示をしたり、趣味嗜好の合った人同士の交流の場となっていたり、ネット上で触れ合うにはもってこいのサービスだった。ファンサイトなどの交流もそちらに移行しつつあったのは必然だと思っていた。

 

その後、言わずもがなtwitter選手の大ブレイク。

私も登録しているし、絶賛利用中である。

 

こんな、同じ世代であれば誰もが書ける話をしたかったわけではない。

(しかも後半面倒くさくなってきて、ツイッターの説明2行で終えちゃった。)

 

 

そう。

このタイミングで何にも紐づかない単体でのブログを開設したこと。

これが何で今なのか、ということなのだけど。

 

タイミングやフィーリング。

※と言ってしまうと元も子もない&それを許さない理屈マンな性格なので、ちゃんと理由っぽいもの、用意してるアルよ。

 

私の言葉には余白がないな、と感じるのです。

そして、そのような機会が非常に多かった2017年。

言葉というものには、色・固さ・質量・速度などがあると考えていて、字面だけ見れば同じだけど、その人の性格や発するタイミングでいかようにも変わるとも思っていて。私はそのコントロールがへたくそ。とてもへたくそ。意図通りに受け取ってもらえたことの方が少ないと感じています。

 

以前のアオい私は「意図通りに受け取ってもらえなくてもいいや。わかってくれる人だけで。」というスタンスでいた。正直、基本、今もそうだ。

しかし、想いを伝えたことがきっかけで相手が苦い顔をしていたり、凹んでいる場面に直面した。相手を角の隅っこに詰めて逃げ場がないような状況。

自分自身の言葉は、我ながら良い意味でも悪い意味でも簡潔でストレート。日常会話は特にそう。面倒くさがりなので、簡単に済ませたがる。ただ、そういう真意むき出しというか、真意だけしかないような身の詰まった言葉って重いんだよね。それを豪速で投げる。

当然、相手は大けがをする。または逃げる。というか、私もそうする。

 

今までは投げたい球を投げたいときに投げられればそれでよくて、それを受け取れる人・拾ってくれる人がその言葉を気にしてくれれば、という自分本位だったことにようやく気が付いた。いや、以前から分かってたけど、見て見ぬふりをしていた。現に、誰からも拾われないという経験はしたことなかったから、危機感を持たなかったのかもしれない。

でも、自分の発した言葉で苦い顔をしている人がいる。これは、私の意図がどうとかではなく、単なる迷惑行為なのでは?と思うようになった。

 

それを解決するには。

・質量そのままに投げたいのであれば、投げ方を丁寧にする

・速度そのままに投げたいのであれば、投げる言葉を間引いて軽くしてあげる 

 

要するに、内容がどうとかというよりも、パッケージの仕方や投げる速度など、アウトプットがへたくそなんだな…そのアウトプットの練習をするにはブログはもってこいだ!と思ったのだ。 

より多くの人に受け取ってもらえる言葉を投げる練習。Twitterと違い、そこそこの分量が必要で、なおかつ最後まで読んでもらえる。そんな言葉を紡ぐ練習を、ここでしようと思い立ち、正月早々開設した。

 

 もういい大人。

ひと様に迷惑かけない。

 

あとね、今日がね、私が大好きな戸塚祥太くんの連載が再開したダ・ヴィンチ2月号の発売日だったっていうのもあるんだよね。日付変わっちゃったけどね。戸塚くんの話はまた今度書くね。

 

書けるときに書く。というゆるゆるスタンス。

月に1記事は最低書けたらいいなと思っています。

お休みの日や、想いを馳せてたら止まらなくなった時などはたくさん書くかもしれません。

好きなことも苦しいこともなんてない日常のことも昔のことも。

おしゃれな文章は書けないけど、受け取りやすい言葉で書けるようにがんばります。

 

ここで出逢ったのも何かのご縁。ここまで目を通していただいたこと、感謝しています。みつけてくれてありがとう。